孤独の愉しみ方―森の生活者ソローの叡智 / ヘンリー・ディヴィッド・ソロー

「孤独は、最も付き合いやすい友達である。それなのに、孤独はたいてい嫌われる。自分の孤独に手を差し伸べよう。」

 

本書は、150年くらい?前に、森の中でほぼ自給自足・限られた付き合いの中だけで生活してたという著者の言葉をまとめたもの、らしいです。

 

究極のぼっちですね。

 

労働は自分が食うぶんだけであとは思索にあてればいいとか、ニュースは原則を知ってれば"new"である必要はないとか。

分からなくはないけど、なかなかできないよねー。

 

でも、

Thou shouldst eat to live; not live to eat.

(生きるために食べよ。食べるために生きるな。)

なんて言葉もあるように、結局何が自分にとって大事なの?っていうのは常に考えないといけませんね。

 

まさにそういう価値観みたいなとこで悩んで、半ぼっち化しているアルタイルには沁みる本でした。

外交〈上〉 / ヘンリー・A. キッシンジャー

一言でいうと、長い。めっちゃ長い。

上巻は17世紀くらい~冷戦開始の外交史を、

ニクソン政権下の大統領補佐官など長年外交に関わってきた筆者が描いたもの。

ちなみに96年の本なので、下巻は冷戦終結まで。

 

基本的には、理想主義と現実主義という軸で読めばいいと思う。

ただし、善悪を論ずる対象とか、二項対立とかではない。

 

例えば、一般に共産主義は理想主義的に考えられることが多いように思う。

しかし、

『(ヒトラーと)同様にスターリンも誇大妄想狂であったが、自分は歴史的真実に使える者と考えていた…スターリンは確かに怪物であった。しかし国際関係の処理にあたっては、彼はこのうえなく現実的であり、我慢強く…』

このように、スターリンの現実主義者としての側面は何度も本著中で描かれている。

要するに、「目的のためなら手段は択ばない」わけだ。

 

恐らくは、理想と現実、どちらかを追求するだけではいけないのだろう。

世論を誘導して第二次大戦にアメリカを参戦させたフランクリン・ルーズベルトのように、

『偉大な指導者は、彼の洞察力と一般の常識…教育者でなければならない…ついてこられるようにするために、孤独で先に歩いていく意思がなければならない』

のだと。

 

他にも示唆に富む記述はたくさんある。

『政治家たちはいつも、行動を起こす余地がまだ大きい時に限って、状況がよくわからないというジレンマに直面するものである。』

外交政策は、実際の力関係を無視して、相手の意図がどのようなものかという読みに頼るとき、砂上の楼閣になってしまうのである』

『民主主義の世論は、失敗を決して許さない。たとえ失敗の原因が目先の彼らの期待を実現することであったとしても。』

など。

 

コメントとしては…ゲームとしては面白そうだよね。実際苦労は死ぬほど多いんだろうけどさ。

うまくまとまらないからそのうち修正するかもしれません。

公共哲学 : 政治における道徳を考える / マイケル・サンデル

ちょっと前に読んだ本だけど、興が乗ったので。

記憶違い等ご容赦ください。

 

「政治における道徳とは、個人の選択の自由に帰結されるべきものではなく、皆で考えるべきものである」

というのがサンデルの主張だったように思う。

 

例えば妊娠中絶に関する法案(容認にせよ禁止にせよ。サンデルは多分容認派)について、

「中絶するかどうかは母親のプライバシーの問題だから、それを法制化すべきではない」

という議論がある。

しかし、本来プライバシーとは「選択の自由」というより、

「どんな私生活を送るかを他人に暴かれない」というものであった。

 

さらに、道徳が法制度に反映されないことはありえない。

なぜなら、「道徳は法制度に反映されるべきではない」というのもまた、道徳の一つなのだから…

 

そして、道徳を考える場とはコミュニティである。

経済活動の膨張によりコミュニティが破壊されている今、我々は戦わねばならない。

(例えば、学校のテレビに流れる消費者向け広告など。)

 

ものすごくはしょったけど、こんな感じかと。

個人的には、確かに価値観を法制度に反映させることは大事だと思う。

 

例えば、「民主主義への~」のエントリで述べた資本課税(細かい話は後日)。

これは垂直的公平、つまり

「確かにそれはあなたの財産だけど、ため込み過ぎだから他の人に配るからね」

という考え方に立脚している。

言い換えると、「貧富の差をどの程度許容できるか、できないか?」という価値観を反映している。

 

ただし、現実的には議論が紛糾しすぎないよう、ある程度の「聖域」はあっていいと思う。

例えば、医療関連産業を集積させたい自治体が、医療倫理絡みのセンシティブな点に触れないことは間違っていないと思う。

言い換えると、目的は「ある程度」手段を正当化する。

 

という「ご都合主義者」なアルタイルでしたとさ。

経済政策で人は死ぬか? / デヴィッド・スタックラー&サンジェイ・バス

なかなかに刺激的なタイトルだが、主張はひとつ。

「データや事実に基づく経済政策が必要である」ということ。

 

不況下の経済刺激政策と緊縮財政政策を対比させ、

経済と公衆衛生、それぞれに与える影響を評価している。

 

具体的には、「自然実験」という形をとっている。

即ち、似たような状況でこれらの政策をとった国を比較し、効果の検証を行っている。

 

例えば、サブプライム問題後に危機的状況に陥り、IMFが支援を申し出た二つの国、

アイスランドギリシャ

財政健全化を旨とする条件のなかには、医療福祉関連予算の大幅な削減も含まれていた。

IMFの提案を拒否したアイスランドと受け入れたギリシャ、それぞれどうなったか?

 

タイトルで想像できると思うが、

アイスランドは(政府債務は増えたが)景気回復に向かい、

ギリシャでは健康・衛生状態が悪化した(なんとマラリアが発生!)。

 

鍵になるのは、「政府支出乗数」と呼ばれる指標。

要するに、「政府の投資がどの程度効果を持つか?」という数字である。

公衆衛生分野は特に政府の役割が大きいため、必要な予算まで削ったことにより悲劇的な結果が生まれた。

 

投資家の救済措置への疑問、アイスランド国民投票の正義など、より広いテーマもあったが、ここでは判断を留保したい。

(個人的には、後者は「大統領が投票を上手く利用した」のではないかと思う。)

具体的な犠牲者の話もあったが、各論と全体を混同する危険を避けるため言及しない。

 

それよりも本書から学ぶべきなのは、

先入観にとらわれず客観的な評価をする努力が必要だということだろう。

 

「不況時に緊縮財政を行い、『必要な犠牲』を受け入れれば長期的には回復が可能」

…一見、正しいように聞こえる。少なくとも、論理的な矛盾はないだろう。

しかし、少なくとも著者はノーを突き付けている。

 

ある世代の非常識が、別の世代の常識になるというのはよくあることだ。

とすれば、今ある常識を疑ってみるのも、良いかもしれない。

民主主義への憎悪 / ジャック・ランシエール

自然には統治する理由のない人による統治される理由のない人の統治

筆者によれば、これこそが民主主義というものらしい。

つまり、金持ちでも知識人でも世襲指導者でもない、「みんな」が発言権を持つこと。

 

最近の反グローバル化、既存の経済構造を打破しようとする流れ。

これを民主主義の行き過ぎだという知識人がいる。

しかし、民主主義とはそもそも特権を打破しようとするものだ。

 

現状の問題点はむしろ「統治する政治的・経済的権力」「消費者としての役割を任された民衆」という切り分けにある。

互いを理解しあうことと、「嫌な相手と表面上は手を組むこと」の使い分けが大事ではないか。

 

全然哲学を知らないので間違ってる可能性ありありだけど、こんな主旨だったと思う。

この本を読んだきっかけは、Brexitとトランプ旋風だった。

「どうしてそんな結論になるんだ?自分が何をしているのか分かっているのか?」から、

「そもそも民主主義ってなんだ?」と思ったこと。

 

そしてこの本を読んで。

「民衆は正しい選択をすることができる」「寡頭制こそが現状の問題である」という筆者の意見には、必ずしも同意しない。

しかし、現状を変えていく方向性の選択肢が必ずしも明確でないことは、大いに問題だと思う。

 

例えば資本課税(次のエントリーで言及するかも)による富の再配分。

例えば費用対効果による政策評価と、浮いた財源による教育への投資。

 

保護主義に走り、みんなで貧乏になろうとしなくても、みんなで幸せになる道はあると思う。

そのための選択肢を広く世間に示すことこそ、知識人に求められていることなのではないか。

 

グローバル化は止まる性質を持たないかもしれないが、全てを食らい尽くす怪物ではないと思うから。

はじめてのきじ

アルタイルです。

主に読んだ本の忘備録的に使っていきたいと思ってます。

 

本の内容をコメントするというよりは、その時思ったことを書く。

読書(した時の)感想文にしようと思います。

 

三日坊主かもしれないが。