輿論と世論―日本的民意の系譜学 / 佐藤 卓己

輿論public opinionと世論popular sentimentsは本来全く違うもの。

前者がよろん、後者がせろんと読まれていたのに、

字の制限で前者が消滅し、結果として世論=よろんと読むようになった。

 

輿論=冷静な意見と世論=感情的な気分の区別が明確にされなくなったことが、

移り気な「ヨロン」の暴走につながったのではないか?

翻って、今こそ両者を分けて書くことから始めるべきなのではないか?

 

というようなお話でした。

 

実際には言語論というより、メディア論としての側面が強い。

例えば、ショー的政治の先駆者としての中曽根康弘

(1985/1/22 第九回自民党全国研修会より)
「政治には感激が必要だ。国民と一緒に「政治目標」をご本尊にしたお神輿を担いで、一緒に汗を流してやるこの感激の分かち合い。これが政治なのだと私は思っている。そういう政治こそがテンポとリズムの合った政治である。」
で、お神輿=輿論、テンポとリズム=世論だと筆者は説明している。

 

個人的には、言葉の使い方そのものが大きな意味を持つかは疑問に思っている。

ただ、本書中に

「世論が「ヨロン」である限り、世論の暴走、あるいはブレーキを欠いた民主主義ーポピュリズムと呼び換えてもよいーを正しく批判する枠組みを私たちは持てないのである。」

とあるように、

冷静な議論と感情論を意識的に分けて考えようとすることは大切だろう。

 

筆者も言うように、実際には理性と感情は不可分だとしても、

この考えは理性か?感情か?と問いかける姿勢こそ、良識を育てるのではないだろうか。