外交〈下〉 / ヘンリー・A. キッシンジャー
先に言っとくと、だいぶ飛ばしました。
めちゃくちゃ長い上に他の本が溜まってるので。
後編は第二次大戦後から冷戦終結までなので、主役はほぼアメリカ(と、対抗勢力としての共産圏)です。
まあ自分が外交を仕切ってた時代もあり、書きやすいというのもあるでしょうが。
歴史のIFって気になりますよね。
上巻でいえば、ヒトラーがスターリンのような外交上の現実主義者で、独ソ同盟による欧州の支配を企んでいたら?
下巻でいえば、スターリンの後継者たち(特にフルシチョフ)が拡大主義に走らず、
元々の領土内での共産主義の繁栄を目指していたら?
なんか怖い方向の想像ばっかで申し訳ない(笑)
さて、後編で目立ったのはアメリカの二面性です。
『その例外主義に固有の、二つの誘惑の間でバランスをとること…全ての悪を修正し、すべての混乱を収拾…逆に内にこもろうとする潜在的な傾向…』
とあるように、ベトナムで大打撃(知らなかったけどテト攻勢はハノイ側の大敗北だったらしく、あそこで勝負を賭けてれば…とか筆者は言ってますが)
を被った「全世界の正義」としての例外主義と、
モンロー主義に代表されるような「外界のことに興味のない」孤立主義。
ずっと両者の間で行き来してきたと考えれば、一時のことで神経質になりすぎるのもよくないのかもしれません。
冷戦構造が崩壊して、日本もずっと追従することはないだろう(ただし、日本式は分からないレベルで少しずつ物事を進めることだ)とも言ってますけどね。
もう一つは、核による抑止について。
『終末的な大戦による脅しの信頼性とは、相手の挑戦に対し最後のぎりぎりまで反応すること…向こう見ずの示威である。しかし、民主的大衆が求め、受容する権利のあるものは、穏健で合理的に計算された柔軟な外交…極限まで赴く気があるのだろうかと疑う原因となるのである。』
『抑止とは、実際に「起こらなかった」ことから否定的な形でのみ検証できるだけ…怒らなかったことを示すことは不可能…評価することが特に難しくなった。おそらく、抑止とは不必要でさえあったのだ…思考不可能であることから…実証不可能な軍備拡張理論まで、ありとあらゆるものが現れた。』
多くは語りませんが、昔から思ってたことを割と言語化してくれたような気がします。
あと、筆者はやっぱりパワーポリティーク推しだったんですね。
正直、私もそれが一番理解しやすいです。良し悪しは別にして。