経済政策で人は死ぬか? / デヴィッド・スタックラー&サンジェイ・バス

なかなかに刺激的なタイトルだが、主張はひとつ。

「データや事実に基づく経済政策が必要である」ということ。

 

不況下の経済刺激政策と緊縮財政政策を対比させ、

経済と公衆衛生、それぞれに与える影響を評価している。

 

具体的には、「自然実験」という形をとっている。

即ち、似たような状況でこれらの政策をとった国を比較し、効果の検証を行っている。

 

例えば、サブプライム問題後に危機的状況に陥り、IMFが支援を申し出た二つの国、

アイスランドギリシャ

財政健全化を旨とする条件のなかには、医療福祉関連予算の大幅な削減も含まれていた。

IMFの提案を拒否したアイスランドと受け入れたギリシャ、それぞれどうなったか?

 

タイトルで想像できると思うが、

アイスランドは(政府債務は増えたが)景気回復に向かい、

ギリシャでは健康・衛生状態が悪化した(なんとマラリアが発生!)。

 

鍵になるのは、「政府支出乗数」と呼ばれる指標。

要するに、「政府の投資がどの程度効果を持つか?」という数字である。

公衆衛生分野は特に政府の役割が大きいため、必要な予算まで削ったことにより悲劇的な結果が生まれた。

 

投資家の救済措置への疑問、アイスランド国民投票の正義など、より広いテーマもあったが、ここでは判断を留保したい。

(個人的には、後者は「大統領が投票を上手く利用した」のではないかと思う。)

具体的な犠牲者の話もあったが、各論と全体を混同する危険を避けるため言及しない。

 

それよりも本書から学ぶべきなのは、

先入観にとらわれず客観的な評価をする努力が必要だということだろう。

 

「不況時に緊縮財政を行い、『必要な犠牲』を受け入れれば長期的には回復が可能」

…一見、正しいように聞こえる。少なくとも、論理的な矛盾はないだろう。

しかし、少なくとも著者はノーを突き付けている。

 

ある世代の非常識が、別の世代の常識になるというのはよくあることだ。

とすれば、今ある常識を疑ってみるのも、良いかもしれない。

民主主義への憎悪 / ジャック・ランシエール

自然には統治する理由のない人による統治される理由のない人の統治

筆者によれば、これこそが民主主義というものらしい。

つまり、金持ちでも知識人でも世襲指導者でもない、「みんな」が発言権を持つこと。

 

最近の反グローバル化、既存の経済構造を打破しようとする流れ。

これを民主主義の行き過ぎだという知識人がいる。

しかし、民主主義とはそもそも特権を打破しようとするものだ。

 

現状の問題点はむしろ「統治する政治的・経済的権力」「消費者としての役割を任された民衆」という切り分けにある。

互いを理解しあうことと、「嫌な相手と表面上は手を組むこと」の使い分けが大事ではないか。

 

全然哲学を知らないので間違ってる可能性ありありだけど、こんな主旨だったと思う。

この本を読んだきっかけは、Brexitとトランプ旋風だった。

「どうしてそんな結論になるんだ?自分が何をしているのか分かっているのか?」から、

「そもそも民主主義ってなんだ?」と思ったこと。

 

そしてこの本を読んで。

「民衆は正しい選択をすることができる」「寡頭制こそが現状の問題である」という筆者の意見には、必ずしも同意しない。

しかし、現状を変えていく方向性の選択肢が必ずしも明確でないことは、大いに問題だと思う。

 

例えば資本課税(次のエントリーで言及するかも)による富の再配分。

例えば費用対効果による政策評価と、浮いた財源による教育への投資。

 

保護主義に走り、みんなで貧乏になろうとしなくても、みんなで幸せになる道はあると思う。

そのための選択肢を広く世間に示すことこそ、知識人に求められていることなのではないか。

 

グローバル化は止まる性質を持たないかもしれないが、全てを食らい尽くす怪物ではないと思うから。