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内向型人間の時代 社会を変える静かな人の力 / スーザン・ケイン

もしきみが、発明家とアーティストの要素を持ったたぐい稀なエンジニアならば、僕はきみに実行するのが難しい助言をしようーー
ひとりで働け。独力で作業してこそ、革新的な品物を生み出すことができる。委員会もチームも関係なく。 

スティーブ・ウォズニアック:自伝『アップルを創った怪物』より)

 (特にアメリカ)社会は、外向型人間を善しとする価値観に囚われすぎている。

忍耐力、持続性、洞察的問題解決、注意深さなど、内向型人間が持つことの多い傾向にある性質は、状況によっては大きな効力を発揮する。

教育、オフィスの構造、人間関係…

性質の多様性を認め、外向型と内向型が互いに歩み寄ることが、社会をよりよくしていくのではないだろうか。

みたいなお話。

いくつかのポイントについて、思うところを述べたいと思います。

 

 

1.集団思考のもつリスクについて

まずはこちらを。

アビリーンのパラドックス - Wikipedia

我々は、『真っ先に行動を起こす人の後を追う傾向』を持っている。(知覚そのものを歪めてしまうという研究もあるそうです)

では真っ先に行動を起こす人の一部はどんな人かというと、

「すぐれた考えを持っているからではなく、しゃべるのがうまいおかげで専門家の地位にいる人がいる…(中略)…貴重な資質だとは思うけれど、われわれは外見に重きを置きすぎて、内容や批判的な考えをおろそかにしすぎている」

(成功したビジネス投資家の言より)

 というわけで、カリスマ性やしゃべりのうまさを、本来の価値以上に重視してしまっているのではないか、という疑問提起でした。

 

(以下、私見)

私はこれまで、「普通は嫌だ」を行動規範としてきました。

議論においても例外ではなく、周り全員が意見Aに流れた時には、意識してBの可能性を考えることを習慣づけています。

(その場でBについて発言するかは、また別の話ですが。)

悪魔の代弁者、という言葉を知ったのは最近ですが、それに近いかも。

「外形に引きずられて後追いをするのが人間の傾向であり、しかもそれは無意識に知覚に影響を与える」

とすれば、存外にこの習慣は大事なのかな、と思わなくもないですね。

いつの日か、熱くなりすぎている同僚に冷や水をぶっかける役回りができれば、とても喜ばしいことです。

「みんなこうしてるから同調しよう」なんて死んでもごめんなので、いずれにせよ他の立場は選べませんけどね。

 

 

2.リーダーシップについて

「企業で大きな決断は少人数の会議…書類やビデオ…アナリストでいっぱいの会議室に入ってくるなり、恐怖で真っ青になって立ち去るようでは、さすがに企業のリーダーはつとまらない…すべてを自分だけで背負う必要はないのだ。非常に内省的で人前に出るのを嫌うリーダーを、私はたくさん知っている」

クイン・ミルズ教授(ハーバード・ビジネス・スクール、リーダーシップ・スタイルの専門家)の言より

 程度にもよるが、必ずしも外向型のリーダーが良いリーダーとは限らない。

状況にも依存する:

例えば、過熱気味の景気状況において、「音楽が鳴っていても踊るのを止めることができる」のは、往々にして内向型のリーダーである。例えば、ウォーレン・バフェットのような。

部下のタイプにも依存する

内向型のリーダーは部下がイニシアチブを取る能動的なタイプであるときにより効果的。

 

(以下、私見)

私は、自分がリーダー向きだとは思いません。

むしろ発言力と自力で仕事を進める能力があれば、「放っておいてもらう」ために使いたいタイプ。

その一方で、「意外と仕切ることもできるもんだな」と思った経験も実はあります。

まずは自分の居場所を作ることからですが、あまり最初から選択肢を狭めなくてもいいかなとも思います。

「普通は嫌だ」「つまらないことはやりたくない」という部分は変えるつもりはありませんが。

 

 

3.職場環境について

オープンオフィスを採用する企業は増加傾向にある。

これはオープンソース・ソフトウェアに着想を得て、「みんなで考えられる環境の方が良いアイデアが出るのでは?」といったコンセプトによるもの。

しかし、「さまざまな人間関係がからみ、さまざまな騒音が満ちているかぎられた空間」で上手くいくかは別の話。

第一、オープンソース・クリエイターたちは同じオフィスで働いてはおらず(むしろ同じ国にいないことも)、

コラボレーションは主に想像空間において行われていた。

マイクロソフトなど一部の企業はこれを認識していて、スライドドアや可動式の壁などにより、

共同作業が必要かそれともひとりで考えるためにプライバシーが必要か、

用途に応じて使用できるオフィスを作っている、らしい。

 

またブレインストーミング(否定せず皆でアイデアを出し合う)は、実は上手く行っていない。

声の大きな人間の意見が通りやすいのであれば、皆で考えたものが一人ひとりのアイデアを持ち寄ったものに勝るはずもない。

協業は確かに大切だが、アイデアは一人で考えた方が良い。

(上述のウォズニアックはジョブズと協業したが、PC開発は一人で行った。)

 

(以下、私見)

そうなんですよね。

協調性はそりゃあ大事だけど、年がら年中オープンな環境が、特に内向型にとって良いはずがない。

(本著によれば、職種による違いはなかったみたいですが)

困ったら人に聞く、は自分の弱いところでもあるので、習慣づけたいとは思っています。

でも、邪魔はするな。

 

 

4.教育について

現在のアメリカの参加型教育は一般に、外向型を善しとする社会的価値観を助長している。

参加型をやるなら、少人数のグループにして、各個人に適切な役割を与えて…と、声の大きな人間以外が力を発揮できる場所も作るべきだ。

というような主旨だったと思います。

 

(以下、私見)

これについては、本文の概要を長く述べるより、最近の私の経験から。

先日アメリカに行った時に、向こうの大学の授業に参加する機会がありました。

(余談ですが、ディスカッションの内容をばっちり聞き取れたのは割と自信になりました)

どんどん発言する皆に面食らったのはまあしょうがない。日本型とはやっぱり違いますからね。

ただ、特に夜間大学みたいなコースだったこともあり、多様なバックグラウンドの方がいました。

「現場」の話が聞けて、面白かったと率直に思います。

一方で、議論が白熱すると脱線も増え、ありていにいうとくだらない点に時間がかかる場面もありました。

良し悪しなんでしょうね。

個人的には、勝手に考えられるので講義形式の方が好きかなあ。参加型はたまにでいいよ。

 

5.その他(自由特性協定、フロー)

その他、面白かったところをいくつか紹介。

5-1.自由特性協定

内向型の上手な社交の仕方について。

コンセプトとして、ハーバード大学で心理学を教えているブライアン・リトル教授の提唱している(?)、自由特性理論というのがあります。

これは、

内向型の人は、重要視する仕事や、愛情を感じている人々、高く評価している事物

(まとめて、『コア・パーソナル・プロジェクト』と呼ぶ)

のためならば、外向型のようにふるまえる

というもの。

本当に大事な目的のためなら手段を択ばないってことですかね。

 

で、自由特性「協定」ってのは簡単に言うと、

1.本当に大事な目的があるなら、たまに社交の場で外向型っぽく振る舞う機会を設けよう

2.ただし、基本的に向いていないことをやるのだから、終わったら十分に休養(家にひきこもって好きな本を読むとか)をとろう。あるいは、合間に休息を設けよう(皆でランチをとるのはサボるとか笑)

みたいな感じです。

参考にしたいと思います。

 

5-2.フロー

心理学者ミハイ・チクセントミハイが名付けた状態で、「行動がもたらす報酬ではなく、その行動自体を目的とすること」のこと。

仕事をするために仕事をする、みたいな。

これにあたるのかは正直分かりませんが、本当に集中すると後の雑事はどうでもよくなるみたいな瞬間は確かにあります。

増やしたいし、質も高めたいですね。

 

 

最後にひとつ。この本は「外向型が重視されすぎている」との前提にあるので基本的に内向型のプラス面を強調していますが、本著でも

外向型は、中身のない話を軽蔑するように思える内向型が、じつはうちとけた気楽な話ができると知るべきだ。
そして、自分がまじめな話ばかりしがちなのはよくないと思っている内向型は、他人からすれば、そういう話ができる有益な存在なのだと自覚すべきだ。

とあるように、色んな人が色んな長所を出し合える社会にしたいものですね。

投稿の予定

次の投稿は、(私自身も含めた)人の内向性に関して、とある本を題材に考えるものになると思います。

最近なんか(日常生活における)スタンスが迷子になりつつある気もするので、整理も兼ねて。

なるべく週末までに投稿します。

シグナル&ノイズ 天才データアナリストの「予測学」 / ネイト・シルバー

どうでもいいけど、この手のダサい副題はウケがいいのかな。

まあ原著の副題をそのまま訳して、

「なぜこれほど多くの予測は失敗し…いくつかはうまくいくのか」

とかするのもイマイチだと思うけど。

 

著者は統計学、特に様々な分野のデータを基にした将来予測の専門家。

マネー・ボールの元になった会社の予測モデルを作ったり、

政治予測のブログを作ってて、2008年の大統領選の結果をほぼ100%的中させたり。

 

ただし、上記の原著の副題(原文:Why so many predictions fail - but Some Don't)で分かるように、

華々しい予測の歴史を綴った書ではない。

 

むしろ逆に、

自信過剰バイアスが経済予測の信頼性を低いものにしていること、

特定の病気の注目度増大による自己成就予言的な症例数の増大などなど、

現実のノイズにまみれたデータからシグナルだけを見つけ出し、

それを予測の「成功」に結びつけることがいかに難しいかに関する話の方が多い。

 

では、様々な分野において、予測の精度を上げるためにはどうすべきか?

 

答えは単純(ただし簡単ではない)、

①市場、経験、知識等から現状に関する見積を立てること

②なるべく沢山予測を立て、適宜修正すること

の二つ。

 

これは、現代統計学の基盤たるベイズ推定、その事前確率と条件(文脈)による修正という考え方に対応している。

 

要するに、一定のものの見方(バイアス)を持ちつつも囚われすぎず、

(バイアスを「持たない」ことはありえない。それは事前確率がないのと等価だから)

予測の数をこなして適宜修正していきましょうという話。

 

データはあくまで材料、モデルは道具でしかなく、

文脈の中で判断しないと「フットボールの結果と株価に相関がある」みたいな意味不明な結論を信じちゃいますよ…

ってのは確かにそうなんだろうけど、言うは易く行うは難しなんだろうとも思います。

 

あと、例えば政治は「今後どうなるか」というより「今後どうしたいか、どうあるべきか」を考えるものなので、

必ずしも予測がとても重要な要素かはよく分からない。

 

ただ、ベイズ的にものを考えるというのは、予測に限らず検討すべき考え方かと。

本文中の例を引き合いに出すと、スポーツで贔屓チームが連敗している時に、

「連敗しているのは構造的な欠陥によるものだ」と考えるか、

「連敗しているが、主力の離脱がある中で内容は悪くない(文脈)。したがって今後盛り返す」と考えるかとかね。

 

当たるか外れるかはともかく、論理的思考のトレーニングとしてはちょうどいいかと思います。

今後に向けて

ほぼほぼ忘備録。

 

とりあえず、方向性は定まったように思います。

やっぱり、「自分がやりたい」が大事。

 

その上で、目的のために手段を完璧にしたいと思います。

10年後を見据えて、今できることを頑張る。小さな一歩であったとしても。

 

それが、初心。

人口と日本経済 ー長寿、イノベーション、経済成長 / 吉川洋

人口減少ペシミズムはおかしい。

 

財政を圧迫することは間違いないが、GDPと人口成長率に相関があるわけではない。

経済を成長させるのはむしろ労働生産性であり、

その向上の主たる要因は資本蓄積とプロダクトイノベーションである。

(ちなみに、長時間労働云々はさておき、先進国において生産性=やる気ではない)

 

「長寿というぜいたく」を皆が享受できるようになったのは経済成長によるものだし、

イノベーションは供給側だけではなく、需要側の事情とも密接に関連する。

言い換えると、必要は発明の母である。

 

問題は供給側が需要に応えられるかだが、

残念ながら今のところ企業こそが純貯蓄主体となっている。

日本の経済の将来は、企業が人口減少ペシミズムを克服できるかにかかっている。

 

みたいなお話だったと思います。

 

 

先行きが暗いかいうほどでもないかって話は置いといて、

(今ちょうど「経済の予測は当たらない」という本を読んでいます笑)

何とかなると楽天的に思わないと進歩はないってのはそうだと思うんですよね。

 

感想とも呼べない感じだけど、

本著にも引用されていたケインズの言葉で〆たいと思います。

 

"Most, probably, of our decisions to do something positive, the full consequences of which will be drawn out over many days to come, can only be taken as the result of animal spiritsa spontaneous urge to action rather than inaction, and not as the outcome of a weighted average of quantitative benefits multiplied by quantitative probabilities." (161-162) – J.M.Keynes, General Theory. 

 

ではまた。土日はできるだけ更新したいと思ってます。思うだけかもしれないけど。

「民主主義」に関する政治素人の所感

予告通り、本投稿では最近の政治的動向について感想を述べたいと思います。

できるだけ客観的にと心がけていますが、素人の感想なので話半分程度に。

 

投稿にあたり、

現代民主主義における政党の社会学 / ロベルト・ミヘルス

自由からの逃走 / エーリッヒ・フロム [著] ; 日高六郎訳

を参考にしました。

 

まず参考図書について簡単に補足。

現代民主主義における政党の社会学

選出された指導者は、その選出が民主的な手続きにしたがっておこなわれたということから、自分を大衆意志の表現とみなし、そのようなものとして自分の意志への服従を要求できる正当な権利を世襲的指導者よりもずっと多くもっている。

 

純粋に民主主義的で、寡頭制的傾向のない集団など存在しない

政党を主な分析対象にしていますが、これが本著における筆者の主な主張だと思います。

 

例えば上にあるように、間接民主主義における強力な代表の選出の必要性は必然的にその代表による支配を生む。かといって、一定以上の大規模集団における直接民主制は現実的ではない。

また、組織が大きくなるほど運営における官僚制度の必要性が増すし、

リーダーに演説の能力や組織運営における器用さが求められることから、職業的指導者が発達する。

そして、「民衆の代表」としてのリーダーの性質が薄れていく(特に、社会主義の支持母体たる労働者からは程遠い存在になる)。

などなど。

 

元々社会主義主義に傾倒していたが、非民主主義的な党の現状に失望して批判に回ったという筆者の経歴から、

過度に悲観的である感はなきにしもあらずですが、お勧めの一冊です。

特に、こんな時代では。

 

自由からの逃走

『中世末期以降のヨーロッパおよびアメリカの歴史は、個人の完全な解放史である…多くの点で個人は成長し、精神的にも感情的にも発達し、かつてなかったほど文化的所産に参加している。しかし他面「…からの自由」と「…への自由」とのズレもまた拡大した。どのような絆からも自由であるということと、自由や個性を積極的に実現する可能性をもっていないということとのズレの結果、ヨーロッパでは、自由から新しい絆への、あるいはすくなくとも完全な無関心への、恐るべき逃走が起った。』

初版発行が1941年。当時のナチスドイツの隆盛を念頭に、「自由になる」ことの意義と難しさについて、歴史的経緯を絡めながら述べている。

手元に資料がないので、上の文を参考に簡潔に述べます。

 

まず、中世以降の「…からの自由」とは、資本主義の発達に伴い、階級制度など従来の「絆」から解放されたこと。

次に、「…への自由」とは、目的そのものとしての自由。

 

これを踏まえて引用文を私の言葉と解釈で言い換えると、

「既得権たる○○を打倒し、行き詰った現状から自由になるのだ!」という自由の形は、

現代の資本主義の発達に伴い実現されてきた。

が同時に、「なにものにも囚われず、独り自由に立つこと」は孤独への恐怖を引き起こし、結果として新たな支配者を求める潮流(=ファシズム)が生まれた。

ということだと思います、たぶん。

 ルターの支配への憧れと資本主義の奇妙な関係、思想としてのナチズムの「大いなるもの」への傾倒などその他盛りだくさんの書ですが、話がそれるのでこの辺で。

 

まとめ:民主主義とポピュリズム

これらの書を踏まえて、最近の政治的トレンドについて思うところを述べたいと思います。

私は政治については素人です。正確な分析なんて望むべくもない。

でも、自分なりに世界の見方をある程度定めて、行動指針を立てることはできると思う。

本来読むべきデータサイエンスなんかの書籍をほっぽり出して政治や経済の本を読んでたのは、これが目的でした。

「なぜそうなっているのか?で、どうすべきなのか?」

少なくとも、自分の「思うところ」を定めてから現実に向き合いたかった。

今後はなかなか時間もとれないだろうから。

 

さて、思うところ。

①歴史は繰り返す ~諸行無常の響きあり~

まず、ポピュリズムは「民主主義の勝利」ではないと思います。

広がる貧富の差にあえぐ人々、綺麗事ではない何かを求める人々の声が反映されているのは間違いない。

解くべき問題は今や正しく設定されたのだろう。

 

でも書籍等で見る限り、歴史上のうねりではあったとしても、前例を逸脱するものではないと思います。

全く同じことが起きるのではなくとも、歴史は繰り返す。

 

②現状の打破 ~民主主義 v.s. 資本主義~

一方で、

「欧米型資本主義には限界がある、パラダイムシフトが起きるかもしれない」

という風潮そのものは悪いことばかりでもないでしょう。

 

外野としてできるのは、表面上のextremismに惑わされないこと。

トランプ政権が(主に軍事の絡む)外交的には比較的現実主義路線であることのように、

言っていることとやっていることの違いには冷静であること。

 

次に、外野も内野も「ではどうすべきか」を考え続けること。

現実とのすり合わせも大事だろうし、あえて理想論を押し通すことも大事でしょう。

みんなの智恵を合わせれば、案外「みんなで貧乏になる」以外の選択肢だって見つかるかもしれない。

 

経済的な部分はともかく、ポピュリズムファシズムの再来かと言われると、それはそれで違うんじゃないかと思います。

 

③今できること ~非欧米圏のアイデンティティ

 

「自由を求め現状を打破してきた闘争の歴史」

 

…この感覚は多分日本人の大半にはないと思います。少なくとも私にはない。

善悪は置いといて、自由や平等を求める性向があるからこそ、

欧米で急進的勢力が発達しやすいのではないかと思います。

その発達を新たな寡頭制の誕生と見るか、自由からの逃走と見るか、それとも民主的革命と見るかはさておき。

 

翻って、「それってそんなに大事なことなの?」と一歩引いた眼で見ることができるのは非欧米圏の人間なんじゃないかと思います。

せっかくの情報化社会なんだから、欧米だけではなく、「みんな」で考えない手はない。

 

④理想の未来なんて

以上の理性的な意見(と自分では思っているもの)はさておき・・・

 

孤立主義は絶対に理想の解ではない!

 

これだけは絶対に譲るつもりはありません。自分にできることは少なくとも、何を選ばないか、何に背を向けるかぐらいは選ぶことができる。

 

私の立場で何ができるかは分からないけど、この記事に書いたことは忘れないようにしたいと思います。

ブログについて

新生活の準備でなかなか更新できませんでしたが、本は読んでるんで来週更新したいと思います。

読書のテーマとしては、「なぜ今孤立主義が流行っているのか?」というところを中心にしてきました。

次の更新で、自分なりの見方を示したいと思います。

 

…と言っておかないと忘れると思うので、取り急ぎ。